2007.01.31 Wednesday
お百度参り
お百度参り
日課となっている早朝の散歩。
と言っても近所の神社へ往復するだけだが、まだ続いている。
その神社の本殿前を毎日通るのだが、受験シーズンになると必ず一人や二人の「お百度参り」の方がいる。
靴を脱ぎ、裸足で祭殿に向かって何度も往復して祈っている。
この所ずっと同じ人がお参りしているので、多少気になっていた。
年の頃は40代ぐらいだろうか、大柄の男性でいかにも目に付く。
さすがにコートを着てはいるが、今朝などは雨で濡れた石畳を裸足でお参りしていた。
参り続けてもう2週間ぐらいになるのだが、休まず毎日通っているのだ。
おそらくは子どもの受験ではないかと推測する。
元来「お百度参り」は人目を憚って行うのが常なので、決して声を掛けることはしない。
お参り中は精神を集中して、神と一体化することが望まれる。
したがって誰とも口を利いてはいけないのだ。
心の中で「頑張ってね」と呟きながら帰ろうとすると。
後ろにいた陽気なオバチャンが、大声で
「あーら寒いのに、裸足で大変ねえ」
「頑張ってね」
言うもんだから、男性、思わず
「はいっ」
あー、口利いちゃったよ。
2007.01.30 Tuesday
今日は5時たこ
今日は5時たこ
「たこ八」の開店時刻は午後5時。
青葉横丁には十数店の居酒屋が並んでいるが、5時に開店するのは少ない。
だいたいが10分から30分ほど遅れて、ぼちぼちと暖簾を出し、赤ちょうちんに明かりを点す。
しかし、その中でも「たこ八」だけは5時きっかりに開店する。
いや、正確に言うと5時前からお客が入っていることが多い。
開店を待ちきれないお客が、オカアサンの仕込み中に入ってきてしまうのだ。
今日は仕事休みなので、珍しく早めの入店と決め、5時15分頃にたどり着いた。
やはり明かりのついている店は半分ほど。
客の姿はほとんど無い。
ところが、「たこ八」の引き戸を開けて驚いた。
なんと開店直後だというのに満員。
12人がギリギリの処に10人が楽しくご歓談中。
驚いて見渡すと一番奥の指定席に、いた!「町屋庵」さんだ。
隣には、「ロッテの株主」Wさんが座っている。
無理を言って、詰めてもらう。
こういうところが常連の図々しさだ。
そう言えば今年は初めてのお目見えになるので、お互いの健康を祈って乾杯する。
やがて、呼び出されたらしく「Oちゃん」が登場。
これもまた久しぶりだ。
もう満席に近いので、町屋庵さんは端の椅子に移動して席を作る。
入り口近くの一見さん客、男女若者3人連れがお帰り。
面白いのは3人とも別勘定で、とのご要望だ。
これから車で東京に帰るのだという。
もちろん運転手はお酒を飲んでいませんでしたので、念のため。
入れ替わりに、Wさんが呼び寄せた妙齢の女性客がお二人登場。
この店は始めてのようで、まあ良く食べる食べる。
Wさんが「レバー焼き」と言ったのが、伝わらなかったらしく「ネギマ」が2本焼けてきた。
「あれっ、違うよ」というと
「ならオレがもらうよ」と、Oちゃんが串を横取りする。
「うまいっ、これは19の娘の味だ」
と、訳のわからないことを言ってはしゃぐので、訂正する。
「Oちゃん、間違いだね。それは19より5歳若いぜ」
「へえ、なんでやねん」
「19より5つ若い14だ」
「14つまり、ジューシーだってえの」
「参りました」
Wさんがバッグの中からお土産の「蕗の薹」に「生椎茸」などを取り出してきた。
これをオカアサンに渡し、フライにしてもらう。
今年初めての「蕗の薹」のフライはほろ苦くて、絶妙の味でした。
今日は少し飲み過ぎたかなあ。
2007.01.29 Monday
リサイクル2
リサイクルの続き
さて、東北に渡った藍染めの着物の、その行く先はどうなったかというと。
昔の人は物を大切にしました。
綻びれば縫い直し、また破れればそれを繕い、大切に使ったものです。
しかしいくら大切に使っても、寿命がやってきます。
着込まれて、ボロボロになった藍染め。
これを専門に回収する商売があったそうです。
まあぼろ切れですから、さすがに二束三文で買い集める。
それをまたお江戸の商売人の元に送ります。
地方から集められた、藍染めのぼろ切れの山。
これをどうするのかというと、まず良く洗って汚れを落とす。
次には桶に入れて水を加え、一生懸命棒で突きます。
そうすると繊維に吸着していた染料(藍)が脱落します。
根気よく突いていると、染料濃度の濃い部分が下に溜まってくる。
これを集めて濃縮すると藍色の固まりができるわけです。
それを何に使うのかというと、「絵の具」として使うのです。
何しろ江戸時代ですから、絵の具は貴重品です。
では、染料を取り尽くした残りのぼろはどうするのかというと、これもまたリサイクルするんですね。
細かく砕いて繊維状にしたぼろ切れは、他の原料と混ぜてすき、再生紙になります。
どこで使うのかというと、お武家さまの厠ですね。
そこでふんどしは長かった使命を、めでたく終えてゆくわけです。
江戸時代の人って、凄かったんですね。
2007.01.28 Sunday
江戸時代のリサイクル
江戸時代のリサイクル
今は使い捨ての世の中で、「もったいない」と外国人にまで言われる始末。
しかし、時は江戸時代。
日本という国は、なかなかのリサイクル社会だったというのだ。
そのころ大名は、参勤交代で、定期的に江戸詰めになる。
もちろん単身赴任というわけにはいかないので、お供の武士を色々と連れてゆく。
その中には警護や雑用の武士もいるのだが、当然のごとく経費は節約したい。
そこで借りおきの長屋に、着の身着のまま住まわせる。
三度の食事は専門の賄いが作ってくれるので問題ないが、困るのは着るもの。
肝心の仕事で使う正装はしまっておくとして、普段の着物は二着を交代ですませればよい。
しかし下着(ふんどしですな)が悩みの種だ。
さすがに毎日というわけにはいかないが、せめて三日おきぐらいには替えたい。
しかし武士たるものが一人でふんどしの洗濯とは情けない。
そんなわけで重宝されたのが「貸しふんどし屋」
何日か指定した日ごとにやってきて、汚れたものと交換に洗濯した清潔なやつを置いてゆく。
これは便利とばかりに大繁盛したという。
さて、ふんどしも洗い込んでゆくと、次第にくたびれてくる。
ものによってはすり切れたり、破れたりすることがある。
そんなやつは、さすがにもう使うことができなくなる。
そこでどうするのかというと、こいつをまとめて仕立て上げ、作業着を作る。
さすがに晒しでは見栄えが悪いので、藍染めにしてわからなくしてしまう。
ふんどし八枚ぐらいで、一着の作業着に変身するのだというが、まさにリサイクルだ。
これを東北地方あたりに持って行くと、飛ぶように売れたのだという。
(この項続く)
2007.01.27 Saturday
和算にはまる
和算に挑戦
新聞を見ていたら「和算」の記事が出ていた。
簡単に言えば日本で研究された数学(ちょっと違うか?)
日本にも優れた研究者は多くいたのだ。
一関市の博物館で、「和算の問題」を出題しているとか。
さっそく開いてみたら、こんな感じで
http://www.museum.city.ichinoseki.iwate.jp/icm/06events/index02.html
これはもう挑戦するしかないでしょう。
締め切りが1月31日。
もう時間がない、急がなければ。
2007.01.26 Friday
静岡おでん検定
静岡おでん検定
静岡新聞に「静岡おでん検定」という物が出ていた。
おでんに関する問題が70問出ていて、いずれも4択。
50問以上の正解で合格。
「静岡おでん博士 認定証」がいただけるとのこと。
面白そうなのでやってみると、これがなかなか難しい。
半分どころか三分の一がやっとという体たらくだ。
ヒントにあるようにインターネットのホームページで、あれこれ調べてみる。
しかし、インターネットの検索はなかなか上手く出てこないものだ。
まあ、これには本人の能力が乏しいこともあります。
悪戦苦闘の末、何とか67問までクリア(といっても正しいかどうかは不明)できた。
しかし難問もあり、これでギブアップ。
その一つだが
「長崎・佐世保を中心に見られる具だくさんの「がんもどき」は、なんと呼ばれているか?
これ、「静岡おでん」とどんな関係があるんだろうか。
検索しても全く引っかからないし、たまたまある店だけで使われた符丁ということはないのだろうか。
長崎に詳しい方がいらしたら、ぜひとも教えていただきたいものだ。
「静岡おでん」に「がんもどき」は絶対入れないしなあ。
雑学だからなんでもありかと、諦めたが。
やはり地元ネタで通してほしかったと思うのであります。
これって負け惜しみか!
2007.01.25 Thursday
夢と欲望
夢と欲望
元女流棋士の林葉直子さんが、何かのエッセイで書いた言葉で
「願えば夢は叶うもの」という名言があります。
ある時この言葉を目にした読者から
「そんなことは成功した人間の言うことで、いくら願っても叶わない人もいる」
「成功した人に言われると、努力が足りないと威張られている気がする」
など、批判された事を色々と書いていました。
弁解することはない。
私自身は良い言葉ではないかと思っています。
夢というのは、叶うことが目標ではなく、叶わないだろうかと願うところに価値があるのですね。
たとえ叶わなくても、夢を追いかけたことは、いや追いかけることができたことは、幸せなことなんです。
叶わないからこそ夢、という言葉もあります。
さて今、受験のシーズンのまっただ中です。
多くの受験生が、合格という目標に対して一生懸命頑張っています。
では、彼らの追いかけているものは、果たして夢なんでしょうか。
もしそれが夢だったとしたら、たとえ不合格となっても、充実感が後に残るのではないかと思います。
志望校に入れず、第二志望に進学したとしても、そこで仕切り直しができるのです。
「合格した」という結果よりも「合格に向かって努力した」という課程が大切です。
ところで、「私の夢は大金持ちになって、豪邸に住み、美女を妻に持つことです」
という人がおりますが、それは夢じゃありません。
そう言うものは「欲望」といいます。
欲望に関しては、間違いなく「課程」よりも「結果」ですね。
欲望も悪いとは言いませんが、できれば「夢という名の電車」に乗りたいものですね。
2007.01.24 Wednesday
超雲@駿河区
超雲@敷地
今日のランチは駿河j区敷地までの遠征。
聞けばここの料理人はかなりの腕前なのだとか。
期待を胸に店の門をくぐる。
先客はまだ二人。いずれも一人客で、カウンターに二つ間を置いて座っている。
一つか三つなら真ん中に座るのだが、こんな時迷いますよね。
小考の後、左側のお客の隣に座ることにする。
メニューを見るとラーメン490円。
これでも良いのだがせっかくなので、ランチのラーメンセット900円を奮発。
これはラーメンと「挽肉炒飯」に小鉢のセットで、お店の看板のようだ。
カウンターの前は調理場で、ご主人の手際がよく見える。
ラーメンのスープを張る時でも、加減をしながら細かく調整をしている。
具の盛りつけでは、メンマは専用の箸で取り分け、ネギは同じくさじで乗せる。
細かい仕事を丁寧にしている様子はさすがに実力者と見た。
まずラーメンから出てきた。
これは正解。
炒飯を作る間待たせていては伸びてしまう。
無理をして同時に出す必要はないのだ。
スープが熱い。麺は透き通った細麺。
具はチャーシューにメンマというシンプルなものだ。
際だったものはないが、きちんと仕事をされている。
続いて「挽肉炒飯」が出てきた。
具は玉子に、味付けされた豚挽肉。
なかなか面白い味付けだ。
小鉢はバンバンジーふうの鶏肉が一口ほど。
栄養のバランスを考えれば、野菜ものが欲しいところだが、どうだろうか。
食事をしていると後から後から、お客が入ってくる。
なかなかの繁盛店なのだ。
満腹になって店を後にした。
2007.01.23 Tuesday
魚がし@鷹匠町
のみくい処 魚がし @鷹匠
魚がし鮨グループ初の和食のお店。
今年の新年会はここでスタートしました。
静岡では珍しい(高級店では多いかもしれませんが)全席予約制の店だ。
入り口で履き物を脱ぎ、靴箱に入れ、奥へと向かう。
今回は5人という事で、お座敷ではなくカウンター席にずらっと整列する。
開店から3年ほど、現在のスタイルにしてからは半年ほどになるのだが、繁盛しているようで、本日は全席満席。
カウンター席は他から離れていて、静かで居心地がよい。
目の前で調理するのを見ながら、杯を傾けるのもまた趣があるのだ。
口取りの小鉢はまぐろの時雨煮。
これをアテにグラスの生ビールで乾杯。
初めの一皿は、お造りで彩りよく5品の刺身が盛られている。
量はさすがに少ないが、見た目が良く、嬉しい限りだ。
続いて焼き物、これも3点盛りになっている。
少な目だが品数多く、彩りで楽しませてくれるのは、女性に人気がある証拠だろう。
カウンター前が調理場で、白い割烹着姿の親方と手伝いが、キビキビと働いている。
次の揚げ物ではなんと一口大のピザまで出てきた。
あれこれと出てきた物の品定めをするのもまた楽しい。
飲み物をぬる燗のお酒に替えて、続きを楽しむ。
出してくれたお猪口と徳利が金縁のけっこう豪華な逸品。
食器にも気を遣っているのが嬉しい。
何品か出た後、最後のシメは鮨だ。
これで終わりと思っていると、お椀に入ったお蕎麦まで登場した。
料理と飲み放題のコースで、税込み3990円。
なんと言っても、静かでのんびりくつろげるのがよろしい。
全員満足して、お店を後にしました。
2007.01.22 Monday
浜松屋@材木町
浜松屋@材木町
ごく普通の日本蕎麦屋である。
しかし、お店の前には「名物平六ラーメン」と大きく書いてあるのだ。
これはなんと言っても確かめてみるべし。
さっそく日曜日のお昼に尋ねてみた。
この店はちょっと変わった造りで、二本の通りに挟まれているため、その両側に入り口がある。
店は細長い形になっているのだ。
そこに四人掛けの座席が二組、続いて同じテーブル席が二列で三組並んでいる。
日曜だというのにけっこうお客が入っている。
中央には来れも名物らしい「静岡おでん」の大鍋がドンと置いてある。
一本八〇円、肉は百円の張り紙。
お馴染みの「欲しい人は勝手に取って行く」スタイルだ。
みていると食事を済ませた人が、お土産にあれこれと選んでいた。
ここも当然、お持ち帰りもできるようだ。
空いていた四人掛けのテーブル席に腰を下ろす。
メニューがわからないのでとまどっていると、店員が席の横に入れてあるメニューを取ってくれた。
そんなところにあったとは気が付かなかった。
注文はもちろん「平六ラーメン」 (550円)
「御飯はお付けしますか」
「お願いします」
隣のおじいさんはおでんをつまみに瓶ビールを飲んでいる。
それも2本並んでいるから、一人で大瓶二本を飲み干したのか。
まだ正午前だというのに、いけますねえ。
その方も「ラーメン」
さすがにライスは遠慮していた。
さて、お待ちかねのラーメンが出てきた。
お、偶然だろうか、「清見そば」のラーメンによく似ている。
麺は細麺のストレート、具はチャーシュー、メンマにナルトとノリ。
スープは色が薄く、醤油が少ないようだが、味が薄いということはない。
やはり脂っ気はないが、ダシはよく出ていて、するするっといけます。
清見そばに比べて、カツオだしの感じは少なく、甘みも感じられないので、やっぱり違うものなのだろう。
御飯は柔らか目に炊いてあった。
お新香のぬか漬けが美味しい。
これは自家製に違いないが、なかなか本格的なぬか漬け、見かけないからねえ。
どうもこのラーメンは御飯に合うようだ。
ライスと交互に食べるとなかなかに美味しい。
「清見そば」の「ラーメン+小ライス」も同じ550円だが、お新香の分で、甲乙付けがたい。
蕎麦屋のラーメン、また良店を発見した。
2007.01.21 Sunday
犬型人間
犬型人間
作家の堺屋太一氏が書いていた随筆で、「犬型人間」についての下り。
なんでも「犬」は、人類が飼い出したのではなく、犬の方から人間に近づいた、のだそうな。
だから人間がいるところには必ず、犬がいるのだそうだ。
人間は、技術の進歩と、道具の使用により、多くの食料を作ることができる。
しかし人間は貧欲なため、食糧を過剰に作ってしまう。
現在の先進国では、生産された食糧の実に4分の3が廃棄されているそうだ。
犬はこの過剰な食糧に目を付け、人間の近くにいると食糧にありつける事を知った。
よって犬の方から人間にまとわりつくようになったのだそうだ。
犬は人間に可愛がられることで、生き残った。
何万年もの間、人間に可愛がられる犬だけが生き残ってきたのだ。
その遺伝子は、犬のDNAにしっかりと組み込まれている。
氏による、犬の「人間に可愛がられるノウハウ」が記されている。
第一は、喜怒哀楽の表現方法。
喜びは大袈裟に、怒りは短く、哀しみは静かに、楽しさは無邪気に表す。
いずれも可愛がられるコツだ。
第二に、ご主人を見分ける術だ。
犬は直接に餌を与える者よりも、待遇の決定権を持つ実力者を直ぐに見分ける。
第三に、絶対の従順。
自分の直属上司である「飼い主」には、全面的に服従する。
無理な命令でも懸命に果たそうとし、結果を予想してためらうことも、労役の軽重に苦情を言うこともない。
この「上司に忠実従順で少々能力が低い」
これは人間界でも可愛がられる条件だ。
これを犬型人間としている。
笑い話に「ヒトにシッポがない理由」というのがある。
それは、ちぎれるまで尻尾を振った者の子孫だけが生き残ったから。
皆さん犬も大変なんですよ。
2007.01.20 Saturday
五味八珍@二杯目
長崎チャンポン@五味八珍
静岡新聞の朝刊にチラシが入っていた。
「期間限定 五味八珍のチャンポン祭り」というキャンペーンだ。
1月17日から26日までの間、お値打ち期間で「長崎チャンポン」が割引になるという。
太麺の長崎チャンポン3種(普通、ピリ辛、みそ)が、通常税込み892円を724円で販売。
後で分かったことだが、五味八珍は店によって戦略が違うようで、この価格は「若松町店」だけだという。
さっそくお昼に出かけてみた。
11時開店なのでその直後に入店する。
この店は意外と混み合うので、お昼のピーク時には並ばなくてはならないのだ。
さすがに席は空いており、カウンター席に案内された。
「長崎チャンポン」と「ギョウザ」(サービス価格、5個100円)も追加する。
店の中は中年から老年の客が多い。
だいたいが夫婦や団体で来ており、けっこうざわついている。
後ろの席の男性客はかなりの大声で、なにやら自慢話らしい物をしている。
こういうのがファミレスらしい雰囲気なんだろうか。
いつもながらサービスの手際は、良いとは言えない。
店員が若いせいなのか、教育が不十分なのか。
一生懸命やっているのはわかるのだが、手際が悪い。
お店は繁盛しているのだから、もう少してきぱきとこなせば、売り上げも増えるのに、もったいないなあ。
そんなわけで、ギョウザが先に出てきた。
ぼちぼちつまんでいると、5個全部食べ終わっても、まだチャンポンは出てこない。
途中休憩の果て、チャンポンが出てきた。
変形の丼で、なかなか趣がある。
ただし、民芸調のしゃもじはいけない。
この使いにくさはどうだろうか。
普通の安いレンゲで十分だと心から思う。
さて、チャンポンは塩味で、トンコツ風味の旨いスープだった。
それに絡む麺は太麺で、腰もしっかりしている。
上に乗る具は、海老がごろごろしていて、なかなかのボリュームだ。
紅白の、いかにも長崎らしい蒲鉾が嬉しい。
野菜もたっぷり、食べ応えがある。
いやはやチェーン店でもけっこう本格的なお味でした。
たまにはチャンポンも良いなあ。
2007.01.19 Friday
武士の一分
武士の一分
話題の映画「武士の一分」
原作は「藤沢周平」さんです。
氏の作品はかなり読んでいますが、剣豪を扱わせれば日本一。
この作品も、武士の心情を描いた好作品であることは間違いない。
昨日ようやく観に行ったのですが、いや噂通りに面白かったです。
11時30分の初演を観ようと出かけたのだが、さすがに平日の午前、空いていました。
でも、まるっきりガラガラと言うわけではないので、今時の映画としてはヒットしている作品なんだろうか。
葵区「有楽座」での放映でしたが、椅子は大きく、スペースも広く作られているので、ゆったりと鑑賞できました。
さすがキムタク、落ち着いた名演技で、これは敵わないなあ(当たり前だ)。
助演の「壇れい」さんがまた、清楚でしみじみとした良い女房でした。
創りも泣かせるところでは思いっきりロングで、ツボを押さえていて、思わず涙がこぼれます。
作品の構成がかなり練られており、場面の対比が面白い。
スタートは食事の最後に、「御飯茶碗に湯を差す」シーンから始まり、エンディングも同じシーンで終わる。
登場するのは同じ二人っきりの夫婦なのだが、その間の期日が「夫婦の絆」をしっかりと結んだ形になっている。
思わず「上手いなあ」と呟いてしまった。
たまには映画も良いもんだ。
2007.01.18 Thursday
割れ窓理論
割れ窓理論
「割れ窓理論」とは、アメリカはルトガーズ大学の、ジョージ・ケリング教授が1982年に提唱した犯罪学の理論のこと。
街にある一つの建物の窓ガラスが、一枚割れた状態で放置すると、その建物は管理が行き届いていないものだと思われてしまう。
そして次々と窓ガラスが割られていくというものだ。
この理論によれば、万引きや違法駐車などの小さな犯罪の放置が、将来的に大きな犯罪の多発を招く事になる。
したがって、「小さな犯罪」の厳正な取り締まりこそが、「凶悪犯罪」の防止になるのだという。
その先駆けとなったのは、次の理論だといわれている。
心理学者フィリップ・ジンバルドは1969年、人が匿名状態にある時の行動特性を実験により検証した。その結論は、
「人は匿名性が保証されている・責任が分散されているといった状態におかれると、自己規制意識が低下し、「没個性化」が生じる。
その結果、情緒的・衝動的・非合理的行動が現われ、又、周囲の人の行動に感染しやすくなる。」
というものであった。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
この理論が有名になったのは、1994年ニューヨーク市の市長になったルドルフ・ジュリアーニ氏が、市内の割れ窓を一掃するために警察官を大幅増員し、地下鉄の落書きや無賃乗車などの軽微な犯罪を徹底的に取り締まったことにある。
実際、この取り締まりによって、凶悪犯罪は激減し、治安は著しく改善されたのだという。
日本でも多くの実践例が認められており、参考にしている自治体も多いそうだ。
もちろん中には疑問視する声もあるが、説得力のある理論だ。
インターネットによる匿名性が起こす事件は、まさにこのジンバルド氏の結論そのもののように思える。
2007.01.17 Wednesday
オリハルコン
オリハルコン
古代ギリシャの哲学者プラトンは、その著書「クリティアス」で謎の金属「オリハルコン」について語っている。
(紀元前400年ごろのお話)
伝説の大陸アトランティスで用いられていた「オリハルコン」は、金に次ぐ貴重な金属で、主に装飾用として使われたようだ。
そのオリハルコンは火のように赤く輝く金属だったと伝えられている。
もちろん、現在知られている単体の金属で、それに相当する物は無い。
今では「オリハルコン」は青銅(銅とスズの合金)という説がもっぱらで、真鍮や銅よりも硬度に勝るため、貴重に扱われたのではないかといわれている。
ところで、合金という言葉は当たり前に使われているが、なかなかに不思議なんですね。
二種類以上の金属が、任意の割合で混合し、結晶を作るというのは、金属原子特有の性質。
金属はその合金により、様々な特製が付け加えられる。
我々の身近で使われている「鉄」も、様々な合金として存在しています。
高炉で生産された鉄は、炭素を多く含むため、堅いがもろい。
これを改質して様々な特殊鋼や鉄合金が作られています。
クロムを多く含むステンレス鋼や、磁石に用いるフェライト鋼など、人類は多くの合金を用いて、文明を発展させてきました。
「オリハルコン」はその元祖なのかもしれませんね。
2007.01.16 Tuesday
鬼平氾科帳
鬼平氾科帳(五)
ご存じ池波正太郎先生の代表作である。
先日図書館に行くと、「大活字文庫」が出ていたので、手に取ってみた。
読み始めたら面白くて、二日で三冊を読み切ってしまった。
と、さも沢山読んだかのように書いているのだが、実はこの「大活字本」、めちゃくちゃ大きな活字なのだ。
22ポイントというからかなり大きい。
ちなみに 大活字 と、こんな具合だ。
だから3冊で通常の1冊分になる。
加齢に付き、年ごとに目が悪くなってきたので、この大きさなら非常に見やすく、目も疲れない。
難点は割高なこと。
定価は1冊2980円+税だから、3冊で1万円弱となる。
これで普通の本1冊分だから、個人で購入するのは大変だろう。
近年は図書館にも段々増えてきたので、嬉しい限りだ。
さて、肝心の鬼平だが、展開がスピーディーで、実に面白い。
食通の池波氏らしく、食べ物の描写など、生き生きと書かれているのもまた楽しい。
本書にも「芋酒」なる物が出てきて、思わず生唾を飲み込む。
氏が亡くなられて絡からもう17年経つが、鬼平は人々の心に生きている。
2007.01.15 Monday
井蛙の見
井蛙の見(せいあのけん)
最近のニュースでは「カエルにつくカビ」が大流行しているとのことだ。
「カエルツボカビ症」というもので、絶滅の恐れさえあるのだとか。
だからといって、何をすればいいのかと突っ込みたくもあるが、カエルにとっては災難だ。
さて、カエルで思い出したのが、有名な「古典名言」
「井蛙は以て海を語るべからず」
(せいあはもってうみをかたるべからず)
「井の中の蛙、大海を知らず」でお馴染みのものだが、出典は「荘子、外編」
意味は
「見識の狭い者に大きな事は話してもわからない」
これだけだと当たり前の文句になるが、人によっては次の対句を付けて返す人もある。
井の中の蛙大海を知らず
されど天空の高さを知る
どちらかというと負け惜しみのような感じもするが、蛙にだってプライドはあるしね。
カビに負けないで頑張れ、カエルくん。
2007.01.14 Sunday
不祥事とは
大企業の不祥事が、また発覚した。
現在の所、実質的な被害は出ていないようだが
その企業の社会的信用は、大きく損なわれた事になる。
また、一度発覚すると、ぞろぞろと管理面での不備な点が出てくるのも世の常だ。
大企業だからと安心していると、実はとんでもないということがよく分かりますね。
それにしても、恒例の
「お詫び記者会見」
美しいものではないし、見たくないなあ。
「人形も ペコペコペコと 頭下げ」
2007.01.13 Saturday
蘭蘭@清水区
蘭蘭@清水区
そんなこんなでようやく清水に到着した。
どうやら見覚えのある通り沿いに、看板が出ていて、けっこう大きな店構えだ。
向かって右側には、ギョウザの作業所があり、左側が店本体だ。
ここは冷凍ギョウザの通信販売も手がけているようで、かなり大規模な営業だ。
店に入ると、元気な声で迎えてくれた。
ファミリーでの経営だろうか、スタッフはみな「清水エスパルス」のユニホーム姿だ。
多少年季の入ったオレンジ色が暖かく迎えてくれる。
店は広い厨房を正面にして一列のカウンターと、それに向かうテーブル席に座席もある。
全部で50席ほどはあろうかという広さだ。
12時少し前という時間のせいなのか、席はまだ空いていた。
カウンターに2名の先客を見て、その中間あたりに席を取る。
メニューを見るが、友人推薦の「特製ラーメン」がない。
普通のラーメンは480円でお手ごろの価格だ。
奥に隠れた小さなメニューを発見。
そこには「コク濃ラーメン580円」とある。
どうもこちらが目指すラーメンのようだ。
通ぶって「特製醤油一つね」
などと叫ばなくて良かった。
味付けは塩、味噌、醤油とあるようだが、やはり定番の醤油に決定。
後で気が付いたが「ランチメニュー」もあるようで、気になったのが「Cランチ」
普通のラーメンに小ライスとギョウザ6個がついてお得なサービス価格だ。
次はこれを試してみよう。
さて、特製いやコク濃ラーメンが出てきた。
なるほどコク濃というだけあって、背脂がぎっしりと乗った濃厚なスープだ。
醤油の色は薄く、乳白色に輝いている。
並のラーメンを食していないので比較はできないが、これは100円の差以上の物があるんだろう。
スープに合わせる麺はストレートの細麺で、これも手打ちなのだとか。
具はチャーシューにメンマと半分のゆで卵。
このラーメンの売りはやっぱりスープだ。
トンコツしょうゆの専門店ではないのに、トンコツの風味がしっかりと出ているのが素晴らしい。
細麺に合わせて、薄めの味付けになっているのも良い。
これはぜひライスと一緒にしてみたい誘惑に駆られた。
メニューも多く、ファミリーで来るにも適した店だと思った。
次はぜひ車でのんびり来るぞ。
2007.01.12 Friday
清水は遠いよ
清水は遠いよ
今日はかねて友人から推薦のあったラーメン店でランチを決断。
しかし場所は清水区なので、交通手段が難しい。
まともに考えれば、車で行くのが当たり前だが、私は大の地図オンチ。
とにかく「地図が読めない大人」なのです。
まあ、歩きながら探すのなら、時間が掛かるだけで仕方ないが、車ではまた違う。
今時カーナビも着いていない車なので、探しながら運転するなど危なくて、とても無理だ。
ということは電車で行くのが妥当になるのだが、今日は夕方からのお仕事で、時間はたっぷりある。
そこで、一念発起。
そういえば最近は運動不足気味だ。
たまには自転車で遠乗りも良いかと、割と考えもせず、自転車で出発したのであった。
まあ2,30分ぐらいかなと、開店時間から逆算していたのだが、とんでもない大間違いでした。
静岡市葵区を出発したのは午前11時。
そう言えばかつて草薙までは自転車を飛ばしたことがあった。
その時もけっこう時間が掛かったのだが、それは後で気が付いたことだった。
北街道を順調に下っていって、流通通りから右折する。
この時点でもう15分経過している。
まだ清水区にも入っていないよ。
国道一号線から更に右折して草薙の手前からカネボウ通りに入る。
草薙の駅で30分が経過。風が冷たいのに信号で止まると汗が出てくる。
気が付いたことがある。
「自転車は坂に弱い」
途中の上り坂は非常に苦しい。
しかも恐れていたように、道を間違えた。
幸いにして大事に至らず、何とか到着したのは、11時50分。
当初予定の二倍という、見込み違いで、しかも帰り道が残っている。
さて、苦労の果てに食べることができたラーメンはというと、さすがに激ウマでした。
なお、帰りは疲労と、お尻の痛みとでスピードが出ず、ゆうに1時間掛かってしまいました。
往復2時間の自転車旅行
いやあ、清水って遠いんだなあ。
2007.01.11 Thursday
しょうがないなあ
しょうがないなあ
下の娘が小学校1、2年の時だっただろうか。
休日にぼんやりしていると、突然そばにやってきて
「箱が欲しい」という。
どうするのかと聞くと、組み合わせて、ロボットを作るのだそうだ。
こつこつと細かいことをするのが大好きな娘なのだ。
そこで、家中から色んな大きさの紙の箱を掻き集めてきた。
大きな物を胴体にして、あちこち組み合わせては、気に入らず、直している。
けっこう根気強く続けていて、段々と形になってきた。
傍らには3歳ほどになる弟がいて、その面倒を見ながら、作品を作ってゆく。
なかなか良いできばえで、ようやく完成となった頃に、妻に呼ばれて昼食となった。
食事の最中も、何となく落ち着かない様子だが、食事を終え、しばらくテレビに熱中していた。
しばらくして、突然娘の悲鳴。
慌てて駆けつけると、やんちゃな弟が作品を壊してしまったらしい。
まあ見事に壊れている。
せっかくの大作を壊されてしまって、娘はがっくりした様子だ。
「お父さんが手伝うから、もう一度作り直そうか」
と慰めると
「しょうがないなあ」
と弟を責めるでもなく、片付け始めた。
「しょうがないなあ」
うなずきながら手助けをした。
「ホントにしょうがないんだから」
一人前の顔をしながら、一生懸命片付けているのだった。
2007.01.10 Wednesday
自由競争がもたらすもの
自由競争がもたらすもの
当然の事ながら、日本社会は自由競争の世界である。
全くすべてとは言えないまでも、かなりの部分が自由競争、経済原理によって淘汰される。
この自由競争というものは、かなり過酷なもので、企業は自身を守るために、日々努力をしなければならない。
そのためには「良い製品を作る」というのが正しいように見えるが、これだけでは不十分だ。
一生懸命努力をして、安く丈夫で使いやすい商品を作っても、それが売れるとは限らない。
敵は思いがけないところからやってくるのだ。
有名な例では「マッチ会社の悲劇」がある。
ひと昔、いやふた昔まえ、マッチはかなりの需要があった。
喫煙者が多かった事もあるが、タバコに火を付けるのはすべてマッチの役割だった。
喫茶店には必ず宣伝用のマッチがお置いてあったし、飲食店もまたしかりだった。
カラフルなマッチも多く、収集して部屋に飾ったりする人もいた。
その時のマッチ業界は、たぶん「品質の良いマッチ」「安価なマッチ」を作ることで競争していたのだろう。
しかし、思わぬ強敵によってマッチ業界は壊滅の道へと突き落とされる。
それが「100円ライター」の出現だ。
発売当初は品質も悪く、割高な感じもして、伸び悩んだが、瞬く間に浸透してゆく。
携帯に便利だし、着火も簡単で、燃えかすも出ない。
タバコ以外の着火についても、どんどんライターは進出していった。
これによってマッチそのものの存続さえ危うくなってしまったのだ。
現在、店に宣伝用のマッチを置いてある店を、ほとんど見かけなくなった。
マッチ業界にとってはまさに「想定外」の事態だったのだろう。
現在でいえば「100円ショップ」が、様々な物に影響を与えている。
業種でいうと「文房具、事務用品」などはかなり影響を受けているのではないだろうか。
この間ちょっと覗いたら、ボールペンを10本100円で売ってました。
品揃えも多く、街角の小さな商店ではとても太刀打ちできない感じだ。
時代に耐え、生き残ってゆくには、様々な努力が必要なのであります。
2007.01.09 Tuesday
謎は解けた
謎は解けた
自宅にある一枚の額。
昔から飾ってあるのだが、文字が読めない。
最後に書かれた日付があり、昭和30年としてある。
持ち主であった親父も、既に亡くなってしまったし、誰に聞く事も叶わない。
書かれているのは、漢字4文字が4行。
昨日、ある本を読んでいて、偶然似た文字を発見した。
さっそく照らし合わせてみると、どうもそれらしいのである。
唐書 孫思ばく(漢字が表記できない!)伝
胆欲大
而心欲小
智欲圓
而行欲方
「胆は大ならんことを欲し、心は小ならんことを欲す」
「智は円ならんことを欲し、行いは方ならんことを欲す」
意味は
「大胆にかつ細心の注意を持て」
昔年の疑問がついに解けた。
2007.01.08 Monday
ラムネとサイダー
ラムネとサイダー
今は自動販売機の氾濫している時代で 、それこそ至る所に設置されている。
ほとんどが清涼飲料水と言われる類の者で、実に変化に富んでいる。
数えたことはないが、まあ何百とあるに違いない。
最近ではミネラルウォーターとか緑茶もあるし、スーパーやコンビニなんかで売られている物を合わせれば、かなりの数になるだろう。
しかし、私が子どもの頃の飲み物といえば、まずラムネであった。
これを飲むのは近所の駄菓子屋で、10円だか15円だかを支払って氷水の中から一本を掴み出す。
その口には決まって、何故か白い紙になにやらの模様を印刷したものが貼られていた。
駄菓子屋の婆さんはこの紙をはぎ取ると、とても衛生的とは言えない傍らの布巾で、飲み口の辺りをこする。
そこに木製のせんぬきを当てたと見るや上から右手を叩き付けるのだ。
「ちりりーん」と、軽い音を立てて口金代わりのビー玉が落ちる。
泡が申し訳なさそうに吹き出してくるのを「お待ちどうさま」とばかりに突き出すのだ。
これを上手く飲むのがまた大変な仕事で、そのままビンを傾けると、決まって途中でビー玉が落ちてきて、口に詰まるのだ。
その度ごとにビンを立て、人差し指を差し込んでビー玉を落とさなければならない。
今この容器をよく見ると、口のところの直ぐ下に窪みが二つついていることが分かる。
ここに上手くビー玉を乗せれば、かなりの角度まで傾けても、詰ませられずに飲めるということが分かる。
しかし当時の子どもには無理であったのだ。
ビー玉を落としては飲み、飲んではまた落としで、一本飲み干すには大分時間が掛かったものだ。
飲みにくく、また開けるのに面倒だという欠点のため、家庭でお客さんに出す飲み物はサイダーということになる。
そう、昔は真夏の来客に対する最大の歓迎が、サイダーだったのですね。
ところでこのラムネとサイダーの違いというのも、昔からの疑問の一つである。
飲み比べてみると確かに違うのだが、これがメーカーによる違いなのか、それとも製法の違いによるのかは、はっきりしない。
さて、ラムネに比べてサイダーは量が多い。
サイダー一本でガラスのコップに2杯半ぐらいになるので、残りの分は当然お裾分けになる。
ということで、真夏の来客は子どもの楽しみの元だったのです。
自分のお気に入りは「ヒメユリサイダー」というブランドで、これをビン一本まるまる飲むのが、少年の夢だった。
慎ましいが、それが昭和という時代だったのかもしれない。
このラムネ世代というのは、意外と少ないのではないだろうか。
というのは、ラムネという飲み物自体が、はっきり言って美味しくない。
たまに飲んだ時、ノスタルジィーを感じることはあるが、それとても何本もとはいけない。
更には昭和30年代後半ごろから、もの凄い勢いで進出してきたあの、「コカコーラ」によって、瞬く間にマイナー化してしまったこともある。
巨大資本を後ろ盾とする、しゃれた飲み物が、マスコミを目一杯使って攻勢を仕掛け、あっという間にラムネくんを追放してしまったのです。
まあその原因はラムネくんにもあったのではないかとも思われます。
高度成長で人々に暮らしがどんどん伸びていった時代に、「炭酸入り砂糖水」の域から抜け出せなかったラムネくんは、やはり時代に取り残されてしまったのですね。
今でもラムネくんは健在で、たまにスーパーの店先で見かけることがある。
少数派が求める個性的な、素朴さを武器に、細々と健闘しているのだ。
さすがに開ける器具は家庭にないので、一本ずつちゃんと付属しているのが、何となく楽しい。
ラムネくんよ永遠なれ。
2007.01.07 Sunday
君子豹変
君子豹変
元の意味は、中国の古典である「易経(えききょう)」からの引用で
「君子は豹変し、小人は面(おもて)を革(あらた)む」と用いるそうです。
現在使われている意味では、応援していたのがコロッと変わって敵方に寝返るようなイメージです。
まあ、あんまり良い意味ではなく使われていることが多いのですが、本来の意味はというと
君子という者は日進月歩、日々に善に変化してゆく。
これに反して小人は、心にもなく顔面だけ、上の人の意に従う態度をとる。
「豹変」は豹の皮の模様(文)が美しいように変わること。
引用「中国古典名言事典(諸橋轍次著)」
実は非常に良い意味で使われていた言葉だったんですね。
新年に当たって、今年は一つ「豹変」してみませんか?
2007.01.06 Saturday
初「たこ八」
初「たこ八」
昨日は今年初めての「たこ八」詣で。
仕事帰りの午後8時40分、たどり着いた「たこ八」は相変わらずの賑わいだ。
入り口近くにOちゃんがいたが、
ちょうど隅の指定席が空いたので、奥へと潜り込む。
いつもながら黙って瓶ビールとコップを出してくれるオカアサン。
本日は平成19年度の口開け
「今年もよろしくお願いします」
と恒例の挨拶を交わす。
「Mちゃんはもう帰ったよ」
(最近帰りが早いなあ)
と、引き戸を開けて、珍しい顔が入ってきた。
T多さんが二人連れで久しぶりの顔見せだ。
綺麗なオネーチャンのいる店で、きこしめしてきたらしく、かなり出来上がっている。
相方はお土産におでんを10本お持ち帰りだ。
一通り喋り尽くした後、ショーチュー一杯で帰っていった。
次に登場したのはSじいだ。
正月なのでエンジンの掛かりが悪いようで、得意のマシンガントークは、影を潜めている。
どうやら仕事は順調なようで、お正月は良いお酒を楽しんだ様子だ。
今年は良い年になりますように。
オカアサンの動作がぎこちない。
どうやら暮れに火傷をしたとのこと、なかなか直りきらないので、医者に行っているらしい。
こんな時は手の掛からないおでん主体で、のんびり酒を進める。
入り口で暖簾を掻き揚げる見慣れた顔、Sちゃんだ。
「今そこでT多サンに会ったよ」
「声掛けたけど、気が付かなかったみたい」
隣に座るやいなや、いつもの調子でおでんをパクつく。
相変わらずの欠食児童ぶりだ。
持ってきたレモン(にしては色がオレンジ)を見せ
「これはオレンジだよ」と言い、オカアサンに切って貰う。
それを一切れ食べたオカアサン
「す、酸っぱい」
見事なSちゃんの初ダマシだ。
おこぼれを一切れ頂いたが、間違いなくレモンでしたね。
これを名物の「イワシ天ぷら」に掛けて食べると、これはまた最高な美味でした。
そうこうしているうちに定量になった。
「ごちそうさま」
こうして、新年初たこ八は無事終了したのでした。
2007.01.05 Friday
賢人ソクラテス
賢人ソクラテス
アテナイの哲学者ソクラテスは賢人として有名である。
当時アテナイには賢人と自称する輩が数多く存在していた。
彼はアポロンの宣託により、最も知力のある者とされていたのです。
しかしソクラテスは、「自分が物を知らない」ということを知っていた。
そのことを他の哲学者に尋ねると、それを論ずることのできる者はいなかった。
数多くいる哲学者の中で彼のみが、「無知であること」を自覚していたのだった。
それ故にソクラテスは自分が賢者であることを悟るのである。
賢者という者は常に、新しい物を取り入れてゆく精神を持っているのですね。
さて不思議なのは、私は自分が無知だとはっきり判っているですが、間違いなく賢人ではありません。
ソクラテスとどう違うんでしょうかねえ。
ところで、「悪妻」として有名な人物に、ソクラテスの妻、クサンチッペがおります。
後世の作り話に、
男にとって最も重要なことは、妻を貰うことだ。
それがもし良妻なら、幸せな一生を送れる。
もし悪妻であったとしても、立派な哲学者になれるだろう。
と謳われる元になったご婦人です。
実際はそんなにも悪妻では無かったらしいですが、話の成り行きでしょうか。
ちなみに私は哲学者の端くれにもなれませんでした。
2007.01.04 Thursday
透明人間の謎
明けましておめでとうございます
本年もよろしくお願いいたします。
透明人間の謎
ラジオで「子ども電話相談室」という番組をやっている。
けっこうな長寿番組なのだそうだ。
子どもだからといって馬鹿にしていると、とてつもなく鋭い質問が飛び出してきて驚かされる。
先日の質問は
「透明人間は透明人間を見ることが出来るのか?」
というものだった。
もしも透明人間が、自分自身を見ることが出来なければ、物を持つ事さえ苦労することになるだろう。
また、透明人間同士はお互いが見えるのか、という疑問もある。
それに回答するのは「空想科学読本」で有名な「柳田理科雄」さん。
どう答えるのかと、注目していると、さすが空想科学
「見えます」と断言しました。
彼の説によると、可視光線ではなく、赤外線を感知することができる目を持っている、とのことだ。
透明人間の体は、可視光線を反射しないので、人間の目には見えない。
しかし人間の目には見えない「赤外線」を反射あるいは放射しているので、それを感知することによって、見ることが出来る。
透明人間は、その赤外線を感知できるのだという。
私が聞いたことのある別の説によると、光を感じるにはその光を吸収する必要があるので、その時点で不透明になる。
したがって完全な透明人間にはなれない、と言う正論もあるのだが、夢を壊すなあ。
まあ、透明人間自体が不思議な存在であるから、すべてにおいて科学的とは言えないのかもしれないが、理屈という物はいくらでも付けられるものなんですねえ。
ところで、質問をした子どもさんは納得したのだろうか?
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